私の通っていた小学校は、卒業式に証書を授与する際に、出席者に向かって「将来の夢」的なやつを表明する風習があった。(今もそんなことやってるんだろうか?)
例)オフ会に1000人集められる大物YouTuberになります!
不労所得だけで生きていける資本家になります!
クラスの皆が野球選手だの先生だのゲームプログラマーだのを掲げる中、私にはそんな夢など考えられず頭を悩ませた。 親の面前で嘘の夢を表明するほどの器用さはなかった。
ただ、この表明は必ずしも職業を掲げる必要はなく、「~~~な人になります!」のような自己実現の目標にしても問題なかった。なので、私はその路線でいくことにした。
「人に左右されず、自分の意見が言える人になります!」
……どうやら私は小学生のころから、自分が引っ込み思案で損ばかりしているのだと自認していたらしい。
臆病だから、「えらいひと」や「こわいひと」に何か言われればそれに従って生きてきた。親に一切反抗もしなかった。言うことを聞かないことも多少あったが(ゲームの1時間制限を守らなかったり)、自分から物を欲しがることはほぼなく、与えられた有り合わせのもので生きてきた。子供の頃はそれでよかった。
今はどうだろうか?相変わらず人にあれこれ言われてはそれに従ってばかりではないか?それで失敗したりわだかまりを残したりしては「あの人がああ言ったから」と心の中で言い訳をしてないか?最終的に決めたのは自分自身なのに??
自己を押し黙らせたまま生き続けてしまい、自分がこれから何をして生きていたいのか、もはや自分でも分からなくなってしまった。
叶いなどしない夢でも表明しておけば、小学校の卒業式なんてどうでもいいイベントがこれほど重くのしかかることもなかっただろうに。