あまりに万能でずるい「少女性」への羨望

僕は可憐な少女にはなれない / はるまきごはん 所感記事です。

活動10周年の節目に投稿されたこのMVは、穏やかなアコースティックギターの音色とともに「可憐な少女」への羨望を素直な歌詞に起こした、温かくも寂寥感のある作品だった。

ずっと初音ミクと共に作品を作っていますが、 10年の節目のこの曲だけは、彼女の力を借りずに一人で作ると決めていました。 宜しくお願いします。

YouTubeコメントより

私ははるまきごはんさんの活動に詳しいというわけではないのだが、代表曲である『メルティランドナイトメア』をはじめ、さまざまな少女たちの物語を楽曲とMVに落とし込んで表現されているマルチクリエイターであることは知っている。そして大半は初音ミクに歌ってもらい、自身でもセルフカバーをするというスタンスをとられている。この曲だけあえて初音ミクには歌わせないという選択をとったのは、それだけはるまきごはんさん自身の心情が込められていると推察される。


少女たちの物語に「男」を想起させるようなエッセンスはどうしてもノイズになりやすい。はるまきごはんさんもきっと、自身が身を乗り出してボーカルを務めるより初音ミクに歌ってもらったほうがしっくり来るのは感覚的に分かっており、自分で歌ったほうを「セルフカバー」という一歩引いた扱いにしているのだろう。そしてそれはYouTubeの再生数などの数値にも(残酷なことに)現れている。

「『可憐な少女』がこの作品群を生み出していたら、もっと多くの人の支持を得られたかもしれない」―――そう何度も考えたのではないだろうか。

しかし、仮にはるまきごはんさんが「可憐な少女」として生を受けたとして、同じように少女たちの物語を表現するマルチクリエイターになっていただろうか?そんなまどろっこしいことをしなくても、ルックスが良ければモデルやTikTokerになればいいし、声が良ければ配信者やボーカリストになればいいし、絵が得意なら絵描きをやりながら時々お洒落な服を着て自撮りをすればいい。

少女たちの物語の純度を高めることができたのは、はるまきごはんさんが「可憐な少女」になれず、作品を通じてそのような存在を目指したからではないだろうか。

僕は可憐な少女にはなれない
そんなこと知ってる 誰にだってわかってるけど
僕が僕じゃない歌を歌えるのは
それはあなたになれなかったから

『僕は可憐な少女にはなれない』歌詞より

個人的には『僕は初音ミクとキスをした』を思い出した。


「かわいい女の子」は現代エンターテイメントにおけるキラーコンテンツである。アニメやイラスト、アイドルといったオタク文化においては尚更その傾向が強い。そういった界隈には男性(キャラクター)の存在が示唆されるだけでも嫌悪する人が少なからずいる。こうして男性キャラクターが消失したアニメコンテンツが量産されたり、絵師100人展で男性キャラクターが展示されることは一切なくなったりする。そのほうが無難で、幅広い層に支持されるからだ。別に「かわいい女の子」が主体でなくていい人はいても、それが嫌いな人はあんまりいない。

そして作り手自身も女性であれば、「かわいい女の子」に少女性をさらに付加できてしまう。イラストレーターでありながらVTuberのような活動も並行することでさらに人気を博した『しぐれうい』さんは、まさにその典型だろう。

ここまでアクティブなことをしなくても、SNSで日常を語るだけでコンテンツとなり得るのが女性クリエイターの強みである。

じゃあおっさんの作り手はどうなのかって?まあ、その、泥に徹していただいて……というのが世間からの無言の回答である。かわいい女の子のコンテンツを売りにしているところに対極の存在であるおっさんがズカズカ自我を出したところで需要などない。小綺麗にしておけばその限りではないかもしれないが、創作物との相乗効果を期待するのは基本的に難しい。

さいとうなおき』さんはそのジンクスを跳ね除けていてすごいな、と思う。


私自身の話をすると、いわゆる『両声類』と呼ばれる男でありながら女性らしい歌声を追求するとかいうまどろっこしいことをやっている身である。女性になりたいとまで思ったことはないが、少女性への羨望は、少なからずある。

私の好きな曲、歌いたい曲は女性らしい繊細なボーカルのほうが合うと常々感じており、『歌ってみた』するにあたり元の声が持つ男性らしさを廃してきた。しかしこれは私が好んで追求しているだけであって聴く側からすればどうでもいいことであり、なんなら「歌っているのは男である」という事実は楽曲が生み出す情景のノイズにすらなってしまうだろう。私が女性として生まれていればそうはならないのに。

インターネット音楽・同人音楽界隈においてもオタク文化が根底にある。女性歌い手、女性キャラクターを全面に押し出した作品が多く、近年のVTuber(バーチャルシンガー)人気も相まってその傾向はさらに加速している。ここで男性ボーカル曲が支持を得るのは困難の極みである。私がこの界隈に馴染めずに四苦八苦しているところをよそに、少女性を携えた女性歌い手さんは次々と人気に火が付いていく。時々それを「ずるい」と思うことがある。

そんな中でも、ご縁があってオリジナル曲のボーカルに抜擢していただき、そのクリエイターさんの代表曲の一つとして数えられるに至ったのは大変ありがたい経験である。たとえそれが、男性ボーカルとして認知されていないことによる歪みが産んだものだったとしても。


性別や容姿といった生まれ持ったものを変えるのは困難であり、多くの人はそれを受け入れて生きていく。だがそれとは別に「なりたかった私」を追求するのは悪いことではなく、もがき続けることでほんの少し慰めを受けられることもある。はるまきごはんさんが「少しだけ少女になった」ように。