卒業式の決意表明が決まらない小学生へ

最近妙にアクセス増えてんなあと思ったら「卒業式」「決意表明」「小学生」あたりでググって私の記事に迷い込んだ人が多々いたみたいです。

将来性豊かな小学生にこんな陰鬱極まりない文章読ませたらいかんでしょ……と流石に申し訳なくなったので、もう少し建設的な話をしようと思います。といってももう今年の卒業式には間に合わないと思うんで、来年の卒業生に向けてになっちゃうんですけどね。先長えな…


たぶん決意表明に迷って検索しまくってる人、だいたい3つのパターンに分類されると思うんですね。

 ①言いたいことは決まってるけど、人前で大声で披露するのが恥ずかしい
 ②将来なりたい自分が分からない
 ③考えるのめんどくさいからテンプレ探してる

このうち③のパターンの人には私から提供できるものはないです。ほか当たってね。

ちなみにいっぱい検索すればするほど金が欲しい大人の人たちが「あ、このネタ需要あるんやな!」と気付いて「卒業式の決意表明の仕方は?卒業証書の受け取り方は?調べてみました!」的な記事を作ってくれると思うんでオススメです。


まず①の人、めっちゃえらい。優秀。小学生のうちから将来の自分を思い描ける人なんてそうそう居ないです。私はなーんも考えてませんでした。言わないだけでみんなそんなもんです。

真剣に打ち込んでいるものがあるけれど、友達に「あいつヒ○キンになりたいのかよ〜〜へ〜〜〜」みたいな奇異の目をむけられたくないとか、あるいは現実志向の親に「プロ棋士になりたいとかけしからん!ワイの子は一流企業に就職させるんや!」と反発されたくないとか、もしかしたらそういう不安があるかもしれません。

友達がいれば、その人に「お前卒業式なに言う?」と話を持ちかけてみると良いんじゃないかなーと思います。誰かと話を共有することで気持ちも楽になるもんです。きっと友達も何言おうか悩んでると思うんで。

それでも恥ずかしいときは、それが本当に自分のなりたい将来なのか一度疑ってみたほうがいいかもしれません。親や先生に言い聞かされていることをそのまま口に出してないでしょうか?

ウソを言うときは声が小さくなりがちなんです。「いやこんなこと大声で言いたくないんだけど…」と脳がブレーキをかけてしまうから。声が小さいと先生に何度も練習させられて、ますます恥ずかしいです。

自分で選択した将来を表明できるなら、そのほうが今後のためにいいと思います。自分の人生を歩むのは、他ならぬ自分なのですから。


②の人。あなたもえらい。真面目に決意表明に取り組もうとしている。めんどくさがりは適当にでっち上げてやり過ごすからな!

まーーー分からんよね。小学生のうちに観測できる大人なんて限られてるんで、その人たちに魅力を感じなかったら将来のことなんか考えつきません。私も小学生どころか社会人になって数年経っても将来のことなんか少しも考えていなかったので。

いきなりなりたい職業で考えると難しいので、どんな人になり、どういう生き方をしたいのか、という観点で考えるともう少し思いつきやすいと思います。

  • 好きなことに熱中したい
  • 目立たなくていいので人の役に立ちたい
  • 知識を蓄えてTwitterでマウントをとりたい

何でもいいと思います。でも「Twitterでマウントをとりたい」だと流石に不純に聞こえるので、「知らないことをとことん探究したい」などのマイルドな表現に置き換えるといいかもしれません。

これをそのまま決意表明に使えたらいいんですが、たぶん使えません。ふわっとした内容になってしまい、決意と呼べるほどのインパクトには欠けるからです。先生に「もっと具体的に!」などと注文をつけられることでしょう。なのでアウトプットとしてはやっぱり職業を挙げるのが都合がいいのかなと思います。

  • 好きなことに熱中したい
    →スポーツ選手、イラストレーター、小説家など
  • 目立たなくていいので人の役に立ちたい
    →看護師、家庭教師、カウンセラー
  • 知識を蓄えてTwitterでマウントをとりたい
    →医者、大学教授、データサイエンティスト

小学生でデータサイエンティストになりたいとか言ったら可愛げがないか?まあいいか。

選んだ職業に自分がなりたいかどうかは分からなくても、生き方の方向性としてつじつまが合うのであれば、大勢の前で表明するのも多少は苦にならなくなると思います。


大事なのは決意表明をうまくやり過ごすことではなく、将来についてついて考えることそのものです。

大勢の前で将来を語らなければいけないのはせいぜい小学校の卒業式くらいだろうけど、それ以降も節目節目で考えないといけなくなります。高校入試だったり、大学受験だったり、就職活動だったり……それらを適当にやり過ごしてしまうと、「何も考えていないほうが都合のいい大人たち」にいいように使われてしまい、ろくな人生を歩めなくなってしまう可能性があります。特に真面目なことが取り柄な、大人に従順でおとなしい人が陥りがちです。誰かに言い聞かされたからといって、絶対にその人生を歩まなければならないのだと決して思わないようにしてください。

先の見えない将来について考えるのは苦痛かもしれません。でも、早いうちになりたい自分が確立すると今後の進路選択がぐっと楽になりますよ。

まあ私のように適当にやり過ごしてきたとしても、それなりの人生を歩むことはできます。それなりの人生でもいいと思うかどうかは、あなたが決めることです。

お互い良い人生を送りましょう。