人々に忘れ去られても、クリエイターの人生はつづく

ボカコレ2026年夏の優勝MVは、もうすぐボカロP活動19年目に突入するOSTER projectの『音楽はつづく』だった。

このように書くと「有名Pが知名度の力で優勝をかっさらった」と思うかもしれないが、近年のOSTERさんは決して”有名P”とは言い切れない。

いや、有名ではあるのかもしれない。OSTER projectの名を聞けば「ああ、ミラクルペイントの人ね」「ピアフォルの人ね」「Xでよくバズってるおもしろお姉さんね」という印象を抱くのかもしれない。しかし彼女の「”近年の曲”を聴いた」と言える人は、果たしてどれだけいるのだろうか。


OSTERさんは今作の『音楽は続く』で既に今年5曲目の新曲を投稿している。2025年は11曲、2024年は8曲とコンスタントな投稿が続いている。活動歴が長いからといってペースが落ちているわけではないどころか、むしろその辺のボカロPより精力的とすら言える。

だが再生数が伴わない。YouTubeにおいて近年で最も再生数が多いのは『フランスかぶれ』の38万。ほとんどの楽曲は数万再生に留まり、100万再生の大台など望むべくもない状況が続いている。(2026年8月現在)

OSTERさんのように黎明期から活動を続けているボカロPは他にもいる。DECO*27やピノキオピーはその代表的存在とも言えよう。OSTERさんと同時期から頭角を現したcosMo@暴走Pは未だに数十万再生のアベレージを持つし、sasakure.UKは新曲こそ多くないが近年でも数百万再生をゆうに超えることができている。

端から見ても、OSTERさんが彼らと比べて何かが劣っているようには見えない。だがそれでも、目に見える数字は残酷なまでに彼女を「昔有名だった人」として置き去りにし続けている。


どちらかというと、十数年活動を続けて未だに第一線級の数字が伴っているほうがおかしいと言える。大半のクリエイターは一発当てることすら困難であり、さらにそれを何年も何回も当て続けるなどほんの一握りの人しか成し得ないものだ。

だから「足るを知る」が現実的な受け入れ方になる。私はこれでいい、これで十分だ、あとは世間の目なんて気にせず心穏やかに生きていこう。大半のクリエイターたちはそうやって自尊心を守り、折り合いを付けていく。

しかしOSTER projectは「過去の人」に甘んじることを拒絶し続けた。無色透名祭ではファンの想像しない作風の楽曲で参加し、あわよくばボカロリスナーに一泡吹かせてやろうと爪を研ぎ続けた。ボカコレも2025年から4回連続で参加し続け、前回 (2026年冬) は憚らず「優勝したい」と宣言するほどまでに入れ込んだが、及ばず5位に終わった。


『音楽はつづく』は、前作『前へ!』から大きくコンセプトが変わったわけではない。変わったのは、伝え方だ。前作のように「OSTER projectはこういう生き様なんだ」という咆哮をストレートに表現するのではなく、VOCALOIDたちからのエールとして組み直してみせた。だからボカコレリスナーは前作よりも順位を押し上げようとしてくれたのではないだろうか。OSTERさんの「優勝したい」という願いに、応えようとしてくれたのではないだろうか。

逆に言えば、ここまで自我を封じ込めなければ優勝させてもらえなかった。これは私独特の例えをさせてもらうと、「初音ミクにキスをする」行為である。率直に言って、表現者としては苦渋の選択としか思えない。だが創作で名を上げるというのは、こういうことの連続なのだろう。OSTERさんは譲れるものはすべて譲って、優勝という結果を勝ち取ってみせた。

ニコニコ生放送のボカコレ特番で優勝インタビューを受けた際、彼女は号泣した。その時の「聴いてくれる人がいないと私たちはやっていけない」というコメントが、自身の切実な窮状を表しているようだった。


ボカコレで優勝したからといって、その後のボカロP人生が順風満帆になる保証はない。だが「多くの人に聴いてもらいたい」と欲望し続け、なりふり構わずもがき苦しみ、優勝という一縷の希望を掴み取った古参ボカロPの姿は、ボカロリスナーの記憶に深く刻み込まれたのではないだろうか。

少なくとも私は忘れたくないと思い、ここに記録した。