米津玄師の新曲『烏』をぼんやりと聴いていたら「夢見がちな烏」というフレーズが妙に耳に残ってしまい、この曲に対して物申さざるを得なくなってしまった。
『烏』は「2026 NHKサッカーテーマ」として書き下ろされた楽曲だ。だが、スポーツのテーマ曲にありがちな熱血さはこの曲から感じられない。イントロから軽やかな風を感じさせるような清涼さがある。そしてそれは意図的であることが明かされている。
スポーツにおいて勝つことは構造的至上命題であり、勝つことをそのまま肯定すれば手っ取り早いけれど、どうにもそれだけで済ませたくなかった。それじゃあどういうやり方をすればいいのかを考えたところ、やっぱり1人ひとりの個人としての在り方、生き様みたいなものを狭い範囲で肯定するやり方がベターだろうなと思ったんですね。
米津玄師「烏」インタビュー|あの頃を辿り直して 構造の中に吹かせる柔らかな風 より抜粋
「勝つ」という同じ目標を掲げる集団に属しながらも、みんなが賭けたものを奪わずに、独立した個人でいる。そういうことができないか。今、サッカーのテーマソングを自分がやるのであれば、そういう形で構造の中にちょっとした“すきま風”みたいなものを吹かせられないかなという。そういう気持ちで作りました。
歌詞にも、「個人としての在り方、生き様みたいなものを狭い範囲で肯定する」という意向が反映されている。「皆が一致団結する姿が美しい」みたいな情景も比喩も一切ない。むしろ「誰の声も聞こえない場所へ行こう」とすら言ってのけている。だからどちらかというと、応援しているサポーターやファンに向けてではなく、選手たちに向けた曲なんだろうなという印象を受ける。
米津玄師が個を肯定するにあたって選択したのが「個人的な体験を綴ること」だった。
もちろんサッカーテーマということを軸に作ってはいたんですけど、一方で極めて個人的な歌詞になったと思います。歌詞の中で散文的に書き連ねられている出来事は、ほとんど実体験か、自分が狭い範囲の中で見聞きして体験した出来事ばかりです。それは最近の自分のモードと合流した結果でもあって。
そして特にインタビュー上で明示されているわけではないが、私はこれを「孤独の肯定」であるとも考えている。
日本語では”孤独”という用語はネガティブな意味合いで使われることが多いが、英語においてはそういった寂しさを伴う孤独は”loneliness”、そうでない主体的選択としての孤独は”solitude”、と明確に使い分けがされている。
今でこそ米津玄師は多くのスタッフとともに音楽作品を作り上げているが、もともとは作編曲・イラスト・動画製作すべてを一人でやってのけるボカロP『ハチ』だった。どうやら一昨年のドーナツホール新MVをきっかけとして、そんな過去の製作スタイルを振り返る内省モードに没入しているようである。流石にMVを自身で作るまでには至っていないが、『Plazma』『BOW AND ARROW』は編曲まで自身で行ったことを表明している。
そうやってあの頃のsolitudeな人生を振り返った結果、労わって、癒してやろうと気持ちになった。そしてそのような生き様を象徴するフレーズが「夢見がちな烏」なのだろう。自分の世界に拘泥し、他者の介入を廃するのは独りよがりで非効率かもしれないが、それでもいいのだ。誰かのための人生じゃないんだから。
ところで、米津玄師はかつてインスタライブ上でニコニコ動画のことを公園に例えたとのことで、ファンの間で話題になったらしいですね。
なんで急にそんな話をするのかって?
『烏』の歌詞に「公園」が出てくるんですよ。
紙吹雪を散らそうあの空席を目掛けて
更地になった公園でひたすら日が暮れるまで
自分の幼さも知らず大口叩きまくって
滴った血の黒さをまだ憶えている
『烏』が極めて個人的な歌詞になっているというのだから、ここにニコニコ動画に対する想いみたいなのが綴られていても不思議ではないですよね。
解釈は、まあ、言語化しないでおきます……
【追記】ショートアニメが投稿されましたね。やっぱりそうだったんだ。