気力ってどうやって沸かすんだ

自分の意見を主張するだとか、競争して勝ち取るだとか、あるいは周りの圧力に反発するだとか、そういったエネルギーの必要なことを避けて生きてきた。結果、この有様である。どんな有様だ。有様を説明するのも面倒くさい。要するに、無気力である。

吹けば飛ぶような軽々とした意志を転がしながらここまで生きてきた。人の話を聞くことができる柔軟な人間だと言えば聞こえは良いが、その実は自己主張の乏しい風見鶏だ。自らが率先して指揮を取れるような、頼りがいのある人間像からは程遠い。その原因を辿ると、自分の気力のなさに起因していると思わざるを得ない。

気力はいつから失われた?そんなもの初めから持ち合わせてなかったのではないか?幼少のころからそれほど泣き喚くこともなく寝てばかりだったと聞いている。それも無気力のせいではないか?ちなみに寝返りもほとんどうってなかったらしく、私の後頭部は平べったくなっている。

進学だとか就職だとかの節目になると「自分は何をして生きていきたいのか」という人生の課題に向きあうことになるのだが、本当に何がしたいのか分からない。自分の将来という霧のような掴みどころのないものに対してまったく現実味が沸くことがない。いつもそうだ。眼前に迫らないと焦りが募らず、そして焦ったからではもう遅い。

BUMP OF CHICKENの『ギルド』という曲を久々に思い返して、変わっていない感慨を持ったことに愕然とした。歳を重ねれば自然としっかりした人間になるというのは幻想でしかなく、しっかりした人間のフリをすることに精一杯な自分がそこにいる。「それ以上」のための気力なんて、どうやって沸かせたらいいのか。

道の先は相変わらず霞がかっている。