昔話 – モテ期到来

Dearの合唱シリーズがトレンドとなって以降、私の投稿動画はじわじわじわじわ、本当にじわじわァ……じわじわじわじわァ………という感じで伸びていった。

動画を投稿すれば3~4000再生は当たり前、1万再生なら嬉しいくらいになった。コメント上で黄色い声援を浴びることが増えた。mixiにファンコミュニティができ、参加人数は一時500人を超えた。ファンアートを描かれ、茶髪の爽やかそうなイケメンで表現された。バレンタインにメールでチョコの写真を送りつけられたこともあった。バレンタインチョコなんて母からしか貰ったことなかったのに……

mixiに未だ残っていたファンコミュニティ。コミュ人数は300人程度に減っていた

人生のうちでこれほど多くの人に好感をもたれる機会は、きっともうないのだろう。この頃の自分はリアルの学生生活なんか差し置いて歌い手活動に熱中してしまったのだが、それもしゃーないと思う。何が悲しくて冴えない現実世界と向き合わなあかんねん。

楽しいは楽しかったが、一方で自分の思い描くウケ方とのギャップを感じていた。この人気を得られたのは自分が「両声類」だからだ。だからそういうキャラクター性をアピールしていれば人気を持続できるのだろうな、と薄々感じていた。しかし一方で、ボカロ廃を自称するほどボカロ界隈に肩入れしていたこともあり、曲を差し置いて自分自身が脚光を浴びることに恐れを感じていた。


2009年はネット上で歌い手への風当たりが一層強くなった年だった。あにま氏がpixivからイラストを無断使用し炎上したり、歌い手のライブ映像が転載され、歌唱力が低いと嘲笑されたりした(残飯のパラダイス)。人気取りばかりに腐心する歌い手は増える一方で、その厚顔無恥な行動に釘を刺すような発言をするボカロPもいた。曲を好きで歌っている自分としては、ボカロPからの不評を買うのは不本意だった。

そういった歌い手の置かれた環境を認識してからは、人気曲を我先にと飛びつくようなことはしなくなった。2009~10年のVOCALOIDはまさに発展期で、特別人気でなくても歌いたくなるような素敵な曲が山ほどあった。そういった曲を積極的に歌うことで、自分の好みの曲をファンにも知ってもらおうとした。

それと共に「両声類」というキャラクターもほとんど主張しなくなった。真面目に曲に歌声を寄せようとすればするほど、自分がそういうキャラであるという情報がノイズになっているように感じたのだ。しかし、これはこっちが黙っててもコメントで「この人男なんだぜ!!!」という評価がついてまわり、払拭するには至らなかった。最終的にはその評価を無理やり引き剥がそうとして『桧木』名義が誕生したのだが、それはもっと先の話となる。

要はどんどんコア向けな歌い手になっていったので、ここでファンの固定化が進んだように思う。私はボカロPのケツばっかり追いかけており、ファンは付いていきたいなら勝手に付いてくれば良いと思っていた。選曲の影響で数字が伴わなくなることについては、それはそれで別に構わなかった。


2010〜11年はボカロ・歌ってみた界隈ともに「ネット上から外へ」の潮流がいよいよ表向きになったと思う。ボカロPはボーマスでCDを売り、歌い手はボカロ曲をライブで歌って集客するようになった。有名ボカロPがメジャーシーンへCDを送り出すようになったのもこの頃だったと記憶する。

ネット上のシーンばかりに没入し、ボーマスやコミケに行こうとすら思わなかった地方民の私には、その熱狂ぶりが見えていなかった。まあ会いに行けるボカロPや歌い手がいる状況下なのなら、ファンもそっちに靡いてしまうだろうネ。

歌ってみたという二次創作表現も有名になり、実力のある歌い手が次々と参入し始めた。所謂「口からCD音源」と呼ばれるような完成度の高い動画が増え、ど素人が数日かけた程度の録音とミキシングではとても超えられない壁を作られた。一部の人はボカロPと仲良くなり、本家ボカロ曲と同時に歌ってみたを投稿したり、CDにゲストボーカルとして登場したりしていた。私にはそれが羨ましくて歯ぎしりが止まらなかった。グギギ……

このクオリティのインフレは後々数字に現れるのだが、まだ精力的に投稿していたお陰か、周りからは人気の歌い手として扱われた。

オフ会にも少しずつ参加するようになった。周りからは「あのJengaさん!?」みたいな反応をされ、自分それなりに知られた存在やったんやな……と自覚せざるを得なかった。 ただ架空の存在みたいな認識されてただけかもしんないけど


そして2012年、私はついに社会人となってしまう。あの地獄のような4年間が幕を開けるのだった―――