昔話 – 誰にも内緒で「歌ってみた」を始める

2008年、「歌ってみた」を始めることを決意した私は、ベスト電器で4000円くらいのマイクを調達。クソ暇そうにしていた店員さんに半笑いで対応された。

ネットの情報を頼りに、みんな大好きAudacityをインストール。オケを流しながらいざ録音。…………おー、できたっぽい。再生。

……………………なんやこの下手クソな歌は!!!!!!!!!

いやね、これ宅録したことのある人なら分かると思うんですけど、すごいキモい声になるんですよ。声張ってないから。恐る恐るボソボソ歌うからそりゃキモいんですよ。音程も全然取れてない。カラオケみたいにエコーも効いてないから誤魔化しも効かない。下手!!!!めっちゃ下手!!!!!!

この悲しいくらい下手クソな歌をどうやって良いものにしていけばいいのかも分かりゃしない。ミックス?なにそれ美味しいの????つーか録音する度にオケと歌声が微妙にズレるの何なん???????
※レイテンシーのせいです

しょうがないので、まだマシに歌えたところだけを継ぎ接ぎして音源を作っていく。これが当時やれる精一杯でした………

こうして出来上がった動画がこちら。
めちゃくちゃ緊張して投稿ボタン押すの5分くらい躊躇った思い出……

うーん、下手!w

感触のなさの割にコメントはヌクモリティ(死語)に溢れてたりする。まあ当時男だって明言してたし……むしろ明言してなかったら聴く価値ないレベルだったから免罪符うっとくしかなかったよね…………

あまりに自信のない出来だったので、友人にコレを披露することはとてもとてもできなかった。誰も知らない、孤独な歌い手活動はここから始まった。


1度投稿してからはもう堰を切ったように怒涛の投稿が始まった。ミックスとかようわからんしとにかく質より量!って感じだった。SNSも未発達な時代だったし、動画を通じてニコニコ視聴者とコミュニケーションとってる所があったのかもしれない。ちなみに2008年は実に41個もの動画を投稿している。月3~4ペース。頭おかしいよお前……

遠き日の桜へ」からジェンガと名乗り始める。でも名前売り込みたいわけじゃないし……みたいな妙な意地があり、頑なにタイトルに名前を入れることはしなかった。

周りの歌い手とのコミュニケーションが欲しかった私は2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の「底辺歌い手が集うスレ」的なところに入り浸っていた。それほど書き込みをしていたわけではなかったが、同じような境遇のウケない歌い手たちの動画を見ながら改善のヒントを探るのに役立った。後に歌ってみた界隈向けSNS「シングリンク」が開設されるまではわりとお世話になった。
今底辺とか自称しようもんなら向上心がないとかなんとかでバッシング食らうやろうね……

クソみたいな動画でも再生だけはされる時代だったので、マイリスト数が人気の指標だった。「Dear」「貴方に花を 私に唄を」の2つは6月くらいの時点で30マイリスくらいはあり、男が歌っているという補正もあってまあまあ好評だった。


歌ってみたカテゴリには、動画のボーカルを抽出して、複数人に擬似的にコラボさせる「合唱シリーズ」という分野の動画が存在する。

7月に投稿された「Dear」の合唱シリーズは、動画の後半にミクさんが登場するという演出の妙がウケて、界隈で人気を博した。11月に投稿されたリマスター版は全体ランキングにも上位で登場するほどの人気となり、2019年現在でも「合唱シリーズ」タグがつく中で最も再生数の多い動画として君臨している。

その動画に、私の歌声が使われたのだった。

しかもアウトロに賑やかしで入れたアドリブが使われてしまったことで、大して人気もないくせに最後の最後で妙に目立つ存在になってしまった。

まっっったくオイシイなどとは思えず、ただただ恐れ多くて視聴者の反応にビクビクしていたのだが、案外みんな受け入れてくれたらしい。絶対キモいってコメントで溢れると思ってたのになあ……

これを機に合唱シリーズでは私の歌がよく使われた。特に女性ばかりのパートに紛れ込ませることで「ジェンガ男なのに馴染んでるwwwwww」的な反応をもらえるので、ちょっとしたスパイス感覚でぶち込まれることが多かった。七味かよ。

期せずして、私は「界隈ではそこそこ有名」くらいのポジションになっていた。