インターネットが打ち砕いた「ささやかな夢」

ゴールデンウィーク中の余暇を使って、最近話題のゲーム『都市伝説解体センター』をクリアした。

※本記事はゲーム内ネタバレを含みます

ゲーム自体への評価は今回書きたいメインの話ではないので簡単に記載するまでとする。クリア直後はそのインパクトの強さに大いに興奮したが、落ち着いて振り返るにつれて設定や展開の粗の多さが気になった。しかしなんだかんだ楽しめたほうだと思う。

ネット上の評判は概ね「ゲームをあまりやらない人ほど好評で、ゲームをよくやる人にとっては過大評価のように感じる」であり、SNSで絶賛されているよりは人を選ぶゲームだと思う。個人的には都市伝説やミステリーが好きな人向けというよりは、X(Twitter)や匿名掲示板のドブ川インターネットに慣れ親しんだ人向けのように思う。そのぐらい都市伝説は付随的要素であり、本質は現代社会への風刺にある。タイトル通りのものを期待するとトンカツが食べたかったのにカツカレーが出てきたような気分になるかもしれない。


本ゲーム最大の特徴と言えるのが、現代に蔓延する「あのインターネット」がこれでもかとばかりにリアルに表現されていることだ。裏アカ、パパ活、悪徳通販、妬み、炎上、炎上を焚きつける人、炎上した関係者を特定する人、誰かのプライベートを暴露する人、流行りの話題を使って有料サイトへ誘導する人、あることないこと騒ぎ立てる人、などなど……

「カスのインターネット」とはよく言ったものだが、これも紛れのない世間の声の一つである。誰もがスマホひとつで全世界に向けて発信できるようになった結果、世の片隅で行われているような軽い噂、雑な感想、根拠のない意見、金銭目的の宣伝が遠くにいる人たちにも届くようになってしまった。それは企業が分析調査をする分には有益かもしれないが、一般の個人が受け入れるには苦痛を伴うことも多い。

インターネットは良くも悪くも垣根を取り払ってしまった。心地の良い声も、耳を塞ぎたくなるような声も平等に届くようになってしまった。そして不幸なことに、人間は脅威への警戒のためにネガティブな情報のほうが記憶にこびりつきやすいようにできている。情報化社会、多くの人にとっては不幸増幅装置になってないか?

インターネットのおかげで人生を好転できた人がクローズアップされることが多いが、インターネットがなかったほうがもっと穏やかな人生を過ごせた人もいたのではないかと思う。上野天誅事件も、如月努の自殺も、それに伴う如月歩の復讐も、テクノロジーの進化が生んだ悲劇と言えるだろう。

迷惑系YouTuberってすっかり聞かなくなりましたね


作中ではSAMEJIMAの管理人に心酔するジマーという信仰集団が様々な事件を起こす。彼らは自らを恵まれない弱者と自認し、管理人が目論んでいる「グレートリセット」が社会に変革をもたらすことを期待している。

インターネットが世間の鏡写しとなった現代社会では、出自や環境や容姿等のステータスに恵まれる者と、そうでない者が顕在化してしまった。「頑張ればいつか報われる」というささやかな夢は、歴史が生んだ大きな格差の前に露と消えてしまった。それでも置かれた現実と向き合い、希望を持って地道に積み重ねられる人がどれだけいるだろうか。

ジマーの思想はともあれ、黒沢のような人間を好む人はあまりいないだろう

このどうしようもない苦痛から救ってくれる福音として「神」やら「推し」やらその他諸々のスピリチュアルなコミュニティが存在する。それが端から見れば幼稚で怪しいものだったとしても、それにのめり込むことで生きる活力を得られている人が世の中にはたくさんいる。このところ急速に進行するテクノロジー中心の社会に順応できなければ、そうなっていくしか生きがいを感じられない場合もあるだろう。彼らを頭ごなしに否定したり、まして嘲笑したりなどしていいものだろうか。


本作のSAMEJIMA管理人のように、自らの計画のために人に危害を加えたり、信仰者にテロ活動を唆すようなことがあってはならない。しかしこの「あってはならない」は既存社会を守りたい故の警告でしかない。世の中を大きく突き動かすような変革というのは、このような暴徒的な活動を伴わなければならないのかもしれない。どうあがいてもすべての人に平等に幸せなど訪れない。個人が尊重される限界を、自由民主主義の限界を、ここに感じている。

GR後の世の中のセキュリティめっちゃ強化されたやろなあ…監視社会極まってそう…

世界はなるようにしかならないし、私自身もできる限りより良い人生になるよう選択していくしかない。インターネットが「夢」を奪っても、せいぜい人生は続く。