インターネット女が見せた「弱さ」と、『せんせえ』との確かな信頼関係

『さなのばくたん。 -ハロー・マイ・バースデイ-』および名取さなに関する所感記事です。

お誕生日プレゼントに、実質全知全能とされる「森羅万象検索くん」を作ってもらった名取さな。この装置を使って最高のお誕生日イベントを作り上げようとするも、そんなうまい話があるわけもなく。突如画面に表示された奇妙なメッセージと共に、不思議な現象に巻き込まれてしまい……?! 名取さなは、今年こそ予定通りお誕生日イベントを開催できるのか?! 乞うご期待!

さなのばくたん。 -ハロー・マイ・バースデイ- Powered by mouse』 INTRODUCTION

名取さなの生誕イベントを見に行こうと思ったのは「誕生日が同じだったから」。本当に軽い気持ちだった。何も身構えずに臨んだせいでとんでもない衝撃を食らうことになってしまった。


私はVTuberの配信や動画を見る習慣がない。ただインターネットは毎日欠かさず摂取しているので、よくトレンドに上がるようなVTuberの名前くらいは知っている。名取さなもそのうちの一人だった。しかも多かれ少なかれ意識せざるを得ない3月7日という自分の誕生日に毎年その名前が出てくるのだから、なんとなく親近感はあった。だが、白とピンクを基調としたナース姿、媚びを厭わないアニメ声はあまりにも「ポピュラーなオタク向け」で、かわいいねとは思うものの、ハマれるようなキャラクター性ではなかったというのが正直なところだった。

本格的に興味を持つきっかけとなったのは『モンダイナイトリッパー!』のMVだった。底抜けに明るくハチャメチャな音楽と映像に、うっすらと差し込まれた危うさ。これが名取さなというコンテンツの魅力なのかと思わされた。

調べていくうちに、名取さなには普段語られない”設定”があることを知った。端的に言うとサナトリウムの病室で暮らす気弱な少女が「なりたかったわたし(バーチャルナース)」を演じている(あるいは、空想している)とのこと。

だが普段の配信でそれを感じさせるようなことはまったくない。”設定”にまつわる動画は活動初期に集中しており、現在はエッセンスとして取り入れる程度のレガシーなものなのだろうと解釈した。のちにこの解釈は誤りだったと気付くことになるのだが……


前置きが長くなってしまった。とにかく、にわかも甚だしいくらいの状態でリアルイベントに臨んだのだった。楽しく観覧を終えて「俺はどんどん年老いていくのに名取さなはずっと17歳でいられるとかずるくない?」とか呑気なツイートをする予定だった。

が、完全に心打たれ、悶々とした気持ちを抱えながら帰路につくこととなってしまった。これはもうアウトプットしないと収まりがつかないと思い、こうして空き時間に文章を書き連ねている。

途中までは明るく賑やかで煽りまくる、よく見る名取さなの姿だった。今思えば事前アンケートが心理テストにありそうなシリアスな質問だったり、途中行われた水平思考クイズの答えが妙にVTuberを連想させるものだったりで、感の良い『せんせえ』たちは引っ掛かりがあったらしいが、クソにわかの私には「VTuberのイベントらしさ」というものが全く分からなかったので、そういうもんだと思ってしまった。

様相が変わったのがイベントの最終盤、告知も終えてラストに一曲歌って終わりか?と思うようなタイミングで、”設定”上の病室に住む少女が登場した。そして自らの苦悩を独白する。「本当はナースではない」「何年もみんなを騙している」「ここにいる資格はない」と。これを名取さなは否定できなかった。「ずっと思っていることだった」と、認めてしまった。

そこからは怒涛の展開だった。今回のストーリーは、名取さなが内に秘めていた苦悩を解消するための伏線だったと明かされた。心の不安が浄化されるような感傷的なイントロが流れ、『ゆびきりをつたえて』が披露される。(この曲、聴きながらbermei.inazawaさん作曲では?と思い動揺していたがやっぱりそうだった。こんなんズルでしょ……)

曲が終わり、真っ暗になった館内で、名取さなからの今日最後のメッセージがスクリーンに表示される。

“みつけてくれて”という言葉は、自らの存在のちっぽけさを強く認識していなければ出てこないはずだ。普段の名取さなの姿からは想像もつかないような嫋やかなメッセージに、館内からはすすり泣く声が止まなかった。

この余韻を尊重するかのように、名取さなは再登場することなく公演終了のアナウンスが流れた。

退場を促されるまでの間、館内では『ゆびきりをつたえて』のインストがずっと流れ続けていたのだが、それが最後のメッセージを反芻させる時間となり、どんな切実な気持ちであの言葉を残したのだろうと思うと胸が苦しくなった。


病室に住む少女は、名取さなが抱える「弱さ」の象徴だと考えられる。

人間なら誰にだってある「弱さ」は、現実社会においてはセンシティブに扱われ、それが表に発露されることはほとんどない。VTuberのような人を楽しませる立場であれば尚更それが求められる。名取さなもそれを弁え、普段は明るく無邪気に振る舞ってきたのだろう。しかし同時に「ナースではない私」が持つ負の感情を、心の奥底に沸々と溜め込んでしまっていたのではないだろうか。それが爆発するとどうなってしまうのかは、想像に難くない。

今回の生誕イベントは、名取さなが自らに「弱さ」があることを認め、それをさらけ出すための儀式だった。こんなことができるのも、名取さなと『せんせえ』との間で育まれた信頼関係があってこそだ。『せんせえ』はそれを誇っていいと思う。

病室に住む少女の苦悩は一旦の決着を迎えたが、生きている限り思い悩みが尽きることはない。「ナースではない私」が再び顕在化する可能性もあるかもしれない。名取さながこれから更に大きなコンテンツに成長したとしても、彼女に「バーチャルナース」と「ナースではない私」の二面性があることをファンが受容し、バカなことをやり合いながらも尊重しあえる関係性が築かれていってほしいと願う。

そして私もその一員でありたい。そう思えるようになった誕生日だった。

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