信仰心は言葉ではなく金額

『神っぽいな / ピノキオピー』 所感記事です。

創作物に対する「○○っぽい」という感想は、既に別の創作物で似たような体験をしていれば自然と思い浮かぶものであり、それ自体は特別悪いことではない。例えば私はこの曲を聴いて「インドっぽいな」とか「サンバっぽいな」とか思い浮かんだ。どうしてそう思ったのかをここに書くと長ったらしくなるので割愛するが、ピノキオピーさんが狙ってそういう「っぽさ」を出したものもあるだろうし、もしかしたら意図せずそうなったものもあるかもしれない。

人類は数百年にわたって音楽に慣れ親しんできたわけで、どんな音楽を作ったところで別の何かの後追いになってしまうことは、曲作りをしている人たちのほうがよほど痛感しているはずだ。だが、テクニックとして意図的にそういったテンプレートを散りばめることで衆目を集めることもできる。それはきっと多くの作曲家さんがやっていることであり、思った通り引っ掛かってくれれば「しめしめ」と舌舐めずりしていることだろう。曲中では、そういった仕組まれたテクニックによって予定調和のごとくまんまとウケている有様を『神っぽい』と揶揄しているのだと思う。

VOCALOID界隈においても、黎明期の試行錯誤の過程で生み出された「ボカロっぽさ」、つまり人気を獲得しやすいテンプレートがあり、ディテールは多少変化しつつも根本はここ10年ほど変わっていないように思う。丸の内進行の高めのBPMに矢継ぎ早に歌詞を連ね、死だの狂えだの壊せだの過激な用語をエッセンスに散りばめ、仕上げに色数の少ないイラストを使ったリリックビデオに収めてしまえば、視聴者はたちまち「ボカロっぽい」と口に出してしまうだろう。

歌詞の中で「エピゴーネン」という聞き慣れない用語が出てくるが、これはドイツ語で「模倣者」を表すそうだ。現代における「パクリ」が用法として近いらしい。『エピゴーネンのヒール』とは、良質な音楽を提供しているようで実は先駆者の手法を丸パクリしただけに過ぎず、それでいて私腹を肥やし驕り高ぶっているような輩のことを言いたいのだろうか。


優れたものを称賛するときに「神」と言い表すネットスラングはすっかり定着した。もはや1人2人程度の「信者」を獲得できる「神」くらいになら割と誰でもなれる。10年前の時点で「神のバーゲンセール」などと言われていたのだから、今じゃ毎日が「神の閉店投げ売り」状態だろう。

無宗教者が多数を占める日本では、無条件に崇められる対象は仏陀でもイエス・キリストでもなく、「神」に向けられる。そしてその崇める対象は刻々と変化する。彼らに信仰し続けてもらうため、今日も数多の「神」たちによるラグナロクが繰り広げられている。

だが、灯りに引き寄せられただけの蛾のような「信者」にまともな言語表現など期待できない。せいぜい「最高」「深い」「天才」などの何の具体性もない称賛を表す記号の羅列だけだ。「神」はそんな輩に囲まれて平常心でいられるのか?「コイツらちょろ過ぎるわ」と邪な感情が浮かんでしまうのではないか?
歌詞に『批判に見せかけ自戒の祈り』とあるように、ピノキオピーさんもきっと例外ではないのだろう。

世間で「神」と呼ばれていてもそこには実体があり、意思がある。だが大半の「信者」からはただ崇めていればいいだけの存在として扱われ、その思想まで理解してもらうことが難しい。また「神」自身もいくらでも替えの利く存在であることを知っている。だから「神」たちは信仰心をカネに置き換えることで折り合いをつけているように感じられる。

結局、この世からいなくならなければ泰然自若な全知全能の神になどなり得ないのだろう。『無為に生きるのは難しい』。


やはり初音ミクは生きてなくてよかった