昔話 – 古のインターネットの思い出

時は2000年代初頭、私の家にノートパソコンがやってきた。

当時ノートパソコンがどのくらいの値段で買えるものだったのかは覚えてないが、父がパチンコでボロ勝ちしたそうで、今後一生パチンコはやらないことを母に誓い、ジャパネットたかたでWindows XPを購入した。高価なものを買うときは必ずジャパネットたかたを使うのがうちの家のセオリーだった。

新しもの好きな父にとってPCは喉から手が出るほど欲しい代物だったのかもしれない。以降、父は仕事から帰宅するとつまみと焼酎を飲み食いしながらYahoo!ゲームでネット将棋を嗜むおじさんと化した。

父は正義感が強かったので、負けそうになった対戦相手が途中退席すると全体チャットでそれをチクって注意を促していた。ネット将棋界隈では厄介なユーザーだったのかもしれない。


私はというと、当初はプリインストールされていた大富豪や麻雀、ソリティアを楽しむ程度だった。しかしいつの間にやらMSNやYahooでググることを覚えてしまい、インターネットの広大な海へ足を踏み入れることとなる。

初めてインターネット上に文章を投稿したのは、テイルズシリーズのファンサイト上の掲示板だった。10人くらいの常連さんがいて、暖かく迎え入れてもらった。皆それぞれのイメージに合ったキャラクターのアイコンを使う風習があり、私はTOEのキャラが好きだったのでリッドとかキールとかを使っていた。たぶん。ああいうアイコンってどこから作成者が沸いてきてたんだろう? 交流チャットもあり、毎日のように入り浸っていた。そんなに毎日何を話していたのかは記憶にないが……

殊更記憶に残っているのは「真田ゆき」というHNの子だ。今思えば真田幸村をもじったHNだったんだろうと思う

電話番号や携帯メールアドレスは他の何人かと交換していたが、彼女に関しては住所も教えていたようで、年賀状を送ってもらった記憶がある。確かリフィルの絵が描いてあってな……

メンのヘラった子で、ちょいちょい自撮り写真を送られて「かわいくなったかな?」と尋ねられたりした。下手なことを返すのが恐ろしくて毎度「かわいくなったよ!」と返信していた。こっちの自撮りを要求されることもあったが、鼻から上の写真を送って誤魔化していた。

こうして仲の良い人達とはメールでやり取りすることが増え、そのまま受験シーズンへ突入したこともあり、交流サイトとは疎遠になっていった。
都心の人間だったらそのままオフ会に発展していたかもしれないけどねえ……


人のWebサイトを見ていると自分でも作りたくなってしまい、Yahoo!ジオシティーズを使って自分のサイトを作ったこともあった。自作の小説(未完)を書き残したりレンタル掲示板を設置したりしていたのだが、まあ誰もアクセスしていなかった。

消した覚えがないのでずっとインターネットの片隅に残っていたのだろうが、2019年にYahoo!ジオシティーズがサービス終了となり、名実ともにめでたく闇に葬られた。


大学進学を期に、リアルの友人関係を介しないインターネットは一旦ここで終了となる。
(つづくかも)