「初音ミク」でいられるということ

愛されなくても君がいる / ピノキオピー 所感記事です。


マジカルミライ2020テーマソングということで、「君が生きてなくてよかった」以来の初音ミクをテーマとした楽曲が公開された。

歌詞に「初音ミク」と直球で出てくるのは今どき珍しいと思う。聞き手の解釈を幅広く持たせるためにも固有名詞は入れないほうが都合がいいからだ。

曲調といい詞の感じといい「ビューティフルなフィクション」を想起させる。「ビューティフルなフィクション」自体、もともとマジカルミライ2018の盛り上がりから着想を得た曲だと語られている。あのメッセージ性を初音ミク並びにVOCALOID界隈に狭め、より具体的にしたのが本曲だと考えられる。


ボカロ界隈にどっぷり浸かっている人なら分かっていると思うが、初音ミクは姿形の異なる個体が「たくさんいる」。音楽を作ったり、イラストを描いたり、コスプレをしたり、作り手が初音ミクをロールプレイすることでそこに「〇〇さんの初音ミク」が生まれる。その「初音ミク」の生存は、作り手が初音ミクという器を介するかどうかにかかっているのだ。

コンテンツに永遠はない。初音ミクもいつかはその人気が落ち着き、エンタメ産業の第一線から退くことになる。表舞台から姿を消してしまったら、世間的に初音ミクは「消えた」扱いになるのかもしれない。でもそんなことは気にしなくていい。作り手が初音ミクを使っていれば、その音楽を、イラストを、コスプレを、好いてくれる人がいれば、「初音ミク」はそこに生き続けるのだから。そう思えるだけの信念が「ピノキオピーさんの初音ミク」にはあるのだろうと思う。








 


ここからは自分語りになるのだが、私は長年、人の褒め言葉を真に受けられないタイプの人間だった。それなりに歌の活動をしているので「好きです」「ずっと応援してます」「神」等々好意的なメッセージをたくさん受け取ってきたが、受け取ってすぐの嬉しい気持ちと、時間が経ってからの冷めた気持ちがせめぎ合うことがよくある。だから「嘘でも嬉しい」「嘘でも信じたい」というマインドは自分を救う上で大事だと思う。

言葉に嘘は付き物だ。思いを伝えようとするときに、上手く表現できずに素っ気なく言ってしまったり、話の流れで思ってもないことを口にしてしまったり、なんてことはよくある話だ。

世の中には言葉にできないことがたくさんある。言葉にならなかった思いを、拾い上げて、受け取って、信じられるようになりたい。