何もできない自分が受け入れられない

若い自分のままではいられないことを痛感している。あれやりたい、これやりたいという表現欲はいっちょ前にあるくせに行動に移せない自分を腹立たしく感じている。行動しなければ何もしていないのと同じだ。

年をとる、というのは本来そういうものなんだろうと思う。自己表現より大事なもののために、何もしない自分を受け入れなければならないのだと思う。それなら表現欲も一緒になくなってくれればよかったのに。生きていくだけの金を得て、誰かを愛し、大衆に向けた何かを消費するだけで満足できる人間になれればよかったのに。

GWが終わる。再び生きていくために社会に従属し、少なくはない時間を捧げることになる。この何かをやりたい気持ちは、少しずつ消化していくしかない。すべてを消化できないことを、受け入れるしかない。

今はまだそれができないのだけれども。

小学6年生の決意表明

私の通っていた小学校は、卒業式に証書を授与する際に、出席者に向かって「将来の夢」的なやつを表明する風習があった。(今もそんなことやってるんだろうか?)
 例)オフ会に1000人集められる大物YouTuberになります!
   不労所得だけで生きていける資本家になります!

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インターネットの存在だけでない自分

「歌ってみた」を続けて11年が経過した。好きでやっていることであり、ほっといても続けているに違いないが、コメントやハートで反応を貰えるのはやはり嬉しい。ありがとうございます。

当たり前だが、インターネットの「Jenga」や「桧木」が活動を続けられているのは、中の人が生きているからだ。個人サイトが隆盛し、無料掲示板やチャットが賑わっていた頃から何かしら発信し続けてきた自分が、今更何も発信しなくなるなんてことは生きている限りきっとないのだろう。

「生きている限り」。

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