名取さな 2nd Live 『独ゼン者』所感記事です。
一時期昂っていた名取さなへの熱もすっかり落ち着き、配信もイベントもほとんど触れることなく音楽コンテンツだけ視聴するようになっていた(『傷口と絆創膏』めっちゃ好きです)。2ndライブもあることは知りながら見送っていたのだが、ライブ中に何やら思想の強い主張をしたらしいとの風の噂を聞きつけ、遅ればせながら配信チケットを購入したのだった。
本題に入る前に近年の名取さなについて所感を述べると、強さや逞しさが目立つようになったと思う。『ノーゲスト、イン、ザ、テアトロ』のような苦悩を吐露した楽曲もないわけではないが、基本的には「私は私の生き方を貫く」といった感じの固い決意をテーマとした楽曲が増えた。ゴリゴリのロック曲だのデスボ披露だのも強そう感を際立たせる。YouTube配信では相変わらずのインターネットおもしろ女だが、自らをそれだけのキャラクターで済ませる気は更々なさそうである。
名取さなというコンテンツはすっかり大きくなり、「せんせえ」とのパワーバランスは様変わりした。かつては名取さなが「せんせえ」たちに支えられて活動していたのが、明らかに「せんせえ」たちを牽引するようになっている。名取さながファンのことを以前ほど「せんせえ」と呼ばなくなったらしい?のも、この辺りに一因があるのではないだろうか。まあ名取さなもVTuber活動8年目になるわけで、社会人なら中堅と呼ばれるくらいのキャリアを重ねてきた。変わっていくのも必然だろう。
そして本題たるライブであるが、やはり近年の名取さならしい強さ、逞しさ、勇ましさが存分に出たライブだったと言えよう。
軍服モチーフの衣装、「独ゼン者」という自己中心を顕示したタイトル、そしてメインビジュアルが旗を持った威風堂々たる立ち姿。「名取さなというコンテンツを主導するのは私自身だ」という強い意志を伺わせる。

影だけ映るのカッコいいっすね VRでこれやってるんすよね?
私が鑑賞したのが夜の部だったのでそちらのセットリストの話になるが、冒頭から『オヒトリサマ』『ヒトリガタリ』とブチ上げロックを見せつけてくる。MCを挟んで『アイデア』以降聴かせることを重視した選曲が続き、後半に名取さなが本ライブの表題曲と述べた『誰かのための言葉』が初披露された。ここのMC、そして楽曲が「思想の強い主張」ってやつだったというわけだ。
名取さなはネット上のコミュニティにおける「ぬるさ」に対して憤りを感じていた。代表的なスラングとして「生きてるだけでえらい」を挙げ、そうやって安直で無責任な他者承認をしてしまうことがコミュニティへの依存に繋がり、ひとりの人間として自立していくことへの妨げになってしまっている、昔そのような言葉をかけてしまい反省している、との思いを示した。
そして人は本質的に「孤独」で、いつまでもそのコミュニティが自分を救ってくれるわけではないのだから、アイデンティティをコミュニティに依存するのではなく自身の力で確立して突き進んで行きたい(あるいは「行ってほしい」)、その先に「交わった日」が訪れたとしたら、それは尊いことだ、と高らかに歌い上げた。
例えばみちばたに咲く
名前も知らない花をきれいだと思った時とか
誰かにそれを伝えたい時
例えば濃い霧の中、暗い海の底でも
自分を信じて進んだ時そうやって生きていて
『誰かのための言葉』
ぼくらの「好き」が交わった日はきっとまぶしい
この曲からの「2011.04.**」を繋ぎにした『傷口と絆創膏』が、個人的に本ライブのピークだった。すごくよかったです(小並感)

『傷口と絆創膏』のイントロで消え入りそうな名取と見守るオタク
名取さなの「孤独」の解釈はハンナ・アーレントのそれに近い肯定的な意味合いで、英語で言うところの「solitude」であるという話は、またどこかで書けたら良いなと思う。
冒頭にも記したように、名取さなは「私は私の生き方を貫く」と固く決意している。これはファンを喜ばせることに力点を置いたポピュラーなエンターテイナー系VTuberではなく、いつの間にか公式プロフィールに書かれていた「新進気鋭のアーティスト」を志しているということだ。そのような姿になっていくには、「ファンを自身に依存させてはいけない」のだろう。
ファンを依存から遠ざけることに関しては、昨年のインタビュー記事でも表明されていた。
活動を始めた時こそ特に何も考えていませんでしたが、こうして6年やってきて、いろいろなものを見てきて、(配信活動の中で、せんせえを自分に)依存させて壊すことはきっと簡単で、それをしてはいけない! と感じています。
名取さなが語る、バーチャルタレント活動の哲学と“メメント・モリ” 「観てくれた人の人生を豊かにしたい」
しかし名取さな自身がそう考えていても、それでも名取さなに依存したがるファンというのが、おそらくいるのだろう。だから本ライブと『誰かのための言葉』を通して、そのようなファンへの”非情宣告”を行った、とも言えるのではないだろうか。

レーザーの照射で歌詞が出現する演出、良いですね⋯
そう、結局いくらオブラートに包んでも、これは前提として「名取さなの人生のため」だ。『独ゼン者』というタイトルは、自虐的な意味合いも含んでいるのだろう。
個人的には、かつてcosMo@暴走Pがいつまでも「初音ミクの物語」を作っていてほしいと願うファンに対して『終点』『リアル初音ミクの消失』のリリースによってそれを拒絶した経緯を思い出す。かつての「物語」に縛られていては、自身の「現在」を表現できない。
名取さなの主張は、確かに現代を生きる人々には必要なマインドである。先を見通すことが困難な社会においては、誰かの人生が自らのロールモデルになるとは限らない。大人の言うことを素直に聞いていればまともな人生が送れるかもしれない時代は終わり、自らの人生は自らの決断によって推し進めていかなければならない。
だが人間は弱く、孤独な人生設計には辛苦と不安が付きまとう。だからコミュニティを形成し群れを作り、集団の中に自らのアイデンティティを見出そうとするわけだ。そうやってインターネットは発達していったし、近年の推し活ブームにも繋がっている。大半のインターネット活動者はそんな彼らに「やさしさ」を見せることで存在を大きくしていった。彼らに「正論」を突きつけようものなら、それは反発を生むだろう。
名取さなはインターネット活動者としては明らかに異端の道を突き進んでいる。今後もマジョリティからの「当たり前」に苦しむことになるだろうし、それが自らのファンからの声として表出する可能性もあるかもしれない。そこは彼女がこれまで培ってきた「強さ」で、跳ね除けていくしかない。
名取さなの未来が、彼女の願う形となって実現していくことを切に願いたい。
【追記】ごめん嘘ついた、今年トシカイとパラノマサイトの実況配信がっつり見てたわ ここ数カ月くらいはあんま追ってなかったということで⋯⋯
