ドーナツホールとは何だったのか

『ドーナツホール / ハチ』所感記事です。

2024年、米津玄師が『ハチ』名義として『ドーナツホール』の新MVをリリースした。リリースにあたり随分と長いコメントをX上に残しており、MVにかける意欲の高さが伺える。

これまで私はドーナツホールのことを「9割方米津玄師だけどボカロを使っているので一応ハチの曲」という認識でいたのだが、このMVを見て、再びこの曲を繰り返し聴いて、それが誤りだったと気付いた。紛うことなく『ハチ』の曲だった。

ボカロ曲としても超が付くほどの有名曲で、きっとすでに多くの人が考察をしていて、概ね結論は付いているのだろうけど、自分なりの解釈というのを書き残しておこうと思う。


結論としては、「ボカロとの決別」を示した曲だったと考えている。

ニコニコ動画にMVが投稿されたのが2013年10月、ハチ名義としては前作『パンダヒーロー』から2年9ヶ月も経過していた。その間、米津玄師としてMVを6作、アルバムを1作リリースしており、明らかに米津玄師としての活動に重きを置いていた頃の、久々のボカロ曲だった。そしてこれ以降、書き下ろされたボカロ曲はマジカルミライ2017テーマソングの『砂の惑星』のみであり、自主的に制作されたボカロ曲に至っては一切リリースされていない。(2024年現在)

2010年代前半においては、まだボカロPがボカロPのまま職業作家に移行していけるような機運がなく、メジャーシーンへ音楽を届けたいのであればボカロPの頃のイメージを払拭する必要があった。wowakaがヒトリエを始めたり、ピノキオPがピノキオピーに名義を変えてライブ活動に力を入れたり、40mPがイナメトオルを名乗って顔出ししたり、まあ色々なやり方が模索されていた。人気ボカロPであれば目先の収益への心配はなかったのかもしれないが、ボカロ文化もいつまで盛り上がりが続くのかまだ不明瞭で、現実的に音楽をやっていくためにボカロから離れる選択を取ったボカロPは少なくなかった。

幸いにも、ハチは米津玄師を名乗り始めてからも高い人気を保っており、活動初期から一定の手応えがあったと推測される。そうなってくると、一度距離を置いたボカロと再び音楽作りをする必要性が失われてしまったとしても不思議ではない。その喪失感が、歌詞の随所に現れているように感じられる。

『ドーナツホール』は、お世話になったボカロと、その文化に向けた餞別だったのではないだろうか。

失った感情ばっか数えていたら
あなたがくれた声もいつか 忘れてしまった
バイバイもう永遠に会えないね
何故かそんな気がするんだ そう思えてしまったんだ
涙が出るんだ どうしようもないまんま

『ドーナツホール』歌詞

また、これは個人的感覚だが、この曲は『ハチ』らしいサウンドがなくなっているように思う。音作りが洗練されたというのもあるのかもしれないが、『マトリョシカ』や『パンダヒーロー』の頃にはあった、それこそ「ボカロっぽい」と評されるようなちょっと下品でガチャガチャした感じがなくなっているように感じられる。だから一聴した程度では「9割方米津玄師」だと思ってしまったのかもしれない。


そして今回公開されたMVによって、本曲への解釈がさらに深まったと言って良いだろう。監督を担当された神谷雄貴氏のコメントからも、ハチの意向が大いに汲み取られていることが分かる。

MVの再制作にあたり特設サイトが設けられている。そこには、MVのあらすじが掲載されている。

雑然とした下町で、廃品回収業を営むGUMI、初音ミク、巡音ルカ、鏡音リンの4人。
軽トラに乗って、間抜けなアナウンスをスピーカーで流しながら、壊れたテレビやパソコンなどを回収している。
雑居ビルの一角にリサイクルショップという名目でオフィスを構えているが、ほとんどがガラクタに値札を貼って並べただけの倉庫のような様相。そんな4人のもとに、いつしか個人では処理しきれないガラクタの依頼が舞い込むようになり、ひょんなことから遺棄物がGUMI達のもとに渡ってくる。

一方、都市中央では環境美化組織が発足し、美しい街の再開発と銘打って下町の一掃作戦が始まろうとしていた。徐々に脅かされていく下町の生活に、反発するGUMI達だったが。政府や美化組織それぞれの思惑が渦巻くなか、「ごみ山で危険生物が見つかった」という緊急ニュースが流れ、下町もろとも更地に一掃する「ごみ山美化作戦」の強行突破が急遽はじまる。

『ドーナツホール』特設サイト

「廃品回収業」「環境美化組織」「危険生物」「ごみ山美化作戦」、これらが何を示しているのかは当時のインターネット、ニコニコ動画、ボカロ界隈を知る人であれば感覚的に分かると思うので、あえて多くは語らないことにする。語ろうとすると知識不足が露呈しちゃうし。

MVのラスト、「危険生物」が拳銃を飲み込んでゴミ山を爆破させてしまうのだが、ハチにとってはそれが『ドーナツホール』だったのかもしれない。

個人的には「環境美化組織」のリーダー的なお姉さんがインスタみたいな映え写真を背景に登場してきたシーンが印象的だった。ああ、ハチさんはこういう人たちを敵視してたんだなって親近感が湧いた。


このMVは過去の物語に過ぎない。「下町」と「美しい街」、どちらが「正しい」とされたのかは現代に残ったインターネットを見れば明らかである。大衆が不便なく暮らせる街は、綺麗に舗装されていなければならなかったということである。