地元があまり好きでない話と、自分の人生を過ごさなかった人間の末路

田舎にあまり良いイメージがない。

まあ確かに交通が不便とかイベントが少ないとか交通が不便とかそういう不満はあるのだが、別に外出したがりではないし、生活必需品以外の買い物はほとんどネットで済ませるし、経験上どこに住んでも生活にそう変わりはないと思っている。都心のどこに行っても人がごった返している億劫さを経験していると田舎の人の少なさは快適さを感じる。でもなんとなく「田舎に住みたくはないな〜」と思っている自分がいる。

しかし最近になって気が付いた。私が田舎を忌避しているのは、実家暮らしにいい思い出がないからだと。


私の生まれは九州の西の果て。繁華街から車を数十分走らせたあたりの住宅地で幼少期を過ごした。3人姉弟の真ん中で、我の強い姉と我の強い弟に挟まれこじんまりと生きていた。

親の言うことを聞き、決まりは守る、よくいる大人しい子として育った。大人たちからの評価は「素直」。聞こえはいいが、今思えば自分の意見を持たなくなった始まりなのかもしれない。

家の決まりは厳しい方だった。ゲームは土日祝に1時間のみ、夜9時以降はテレビ禁止(高校進学で解禁)、携帯電話の所持は周りに普及するまで認められなかった。姉は見たいドラマやバラエティを録画して早朝に見ていたし、私や弟は親が仕事中に隠されたゲーム機を部屋中探し回った。運動音痴だったので、空き時間はもっぱら音楽鑑賞と読書に傾倒した。

自分の利益のために交渉する、説得するという行動を学ぶ機会がなく、与えられた環境で日々を過ごすことしか頭になかった。大人の言うことは覆すことができないという諦念がいつの間にか染み付いてしまっていた。


勉強が比較的できたので、母は私を「立派な社会人」に仕立て上げようとあれこれと助言してきた。「公立の高校に進学しなさい」「文系は就職に苦労するから理系を選びなさい」「国立の大学に進学しなさい」「学校の授業だけじゃ足りないから塾に通いなさい」……

私はそれに従い、応えてきた。従っていながら、自分で自分が分からなかった。いい高校を出て、いい大学を出て、その先に何があるのか?何も見えていなかった。何も見えていないことにすら気付かなかった。その日その時をやり過ごすことしか頭になかった。

何が正しくて何が間違っているのかを大人たちに委ねるのではなく、もっと自分で決めようとしなければいけなかった。それは「反抗期」だのと呼ばれ、いつかは許してもらえたはずなのに。私に反抗期は来なかった。大人たちに従順でいるほうが楽だった。楽な方に楽な方に流れてしまっていた。

目標のない人間にはいつか限界が来る。大学生活、初めての一人暮らしでそれが現れた。自己管理ができず、単位を大量に落とし留年。それが親に知られ、休学して実家に帰ることとなった。


実家で漫然とした日々を過ごす中、母に何の仕事をしたいのかと尋ねられたが、自分でも何がしたいのか分からなかった。「音楽関係の仕事をしたい」と答えたら、「そんな水商売で生きていけっとね」とたしなめられた。そりゃそうだ。周りにそんな仕事で生きている人などいない。かといって私にそれを突っぱねるだけの情熱も、信念もなかった。自分の選択に自信がなかった。

数日後「システム開発の仕事がしたい」と言うと、トントン拍子で退学と専門学校への入学が決まった。


私にとって、実家での生活は「箱庭」だった。約束された安寧と限られた価値観の渦巻いた、ひどく居心地の良い不自由な空間だった。あの場所で過ごした思い出と地元の景色が紐付けられていることで、田舎そのもののイメージを悪くしているようだった。

別の田舎で過ごしたら、このイメージは覆されるのだろうか。過ごしてみないと分かりませんか。そうですか。